私たちは矛盾で遊んでいた。

現実の仕組み

半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。

私たちは自分の意識を投影して、
その世界に入り込んで生きている。

私たち人間はこの世界に遊びに来ていた。
ただ、遊びに来ていた。それだけだった。

では私たちは、
一体今まで何をして遊んでいたのか?

その問いの答えはこうかもしれない。
「矛盾で遊んでいたのが私たち人間だった」と。

欲しいのに怖くなる。
愛されたいのに逃げたくなる。
強くなりたいのに甘えたい。
自由になりたいのに縛られたがる。

この現実世界は二元論でできている。
「上」「下」「右」「左」
「男」「女」「強」「弱」。

これらの対極があるから、
私たちはこの現実世界を体験できるのである。

対極が存在するおかげで
空間が「立体」として成立していたのである。

私たちの本来の姿である
「意識そのもの」には二元論は存在しない。

二元論さえも含んだ意識として存在している。
だから矛盾もはじめから存在しないのである。

矛盾というものは、
私たち人間がこの現実世界を楽しむための
「刺激的なスパイス」になっていたのである。

食べたいのに、食べちゃいけない。
好きなのに、好きになっちゃいけない。
欲しいのに、欲しがっちゃいけないんだと。

そうやって私たちは矛盾で遊んでいたのだ。

この現実世界は、本当によくできている。
私たちを飽きさせない要素がいっぱいだった。

あっちの世界には、
全てがあるというよりも「全て」なのである。

「全て」が自分なのである。

だからストーリーがあって、
ドラマチックなのは断然こっちの世界だった。

心が揺れてみたり。
心が震えてみたり。

私たちはそうやって、
自分の現実世界の中に自分で波を作って、

ドキドキしてみたり、
ハラハラしてみたりして遊んでいたのである。

どう?
笑っちゃうよね?