半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。
私たちは自分の意識を投影して、
その世界に入り込んで生きている。
臨死体験したあの日。
意識だけになった私には「重力」はなかった。
重力とは何なのだろう?
この現実世界を物質にするため?
「意識を物質にするために重力がある」
のかもしれない。
あの日、意識だけになった私は、
自分の瞳の裏からこの世界を覗いた。
そこから見たこの現実世界は、
密度がとても濃かった。
そしてほとんど隙間がなく、
固くて自由度がない感じだった。
だから、
「現実は変えられない!」そう思った。
自分が新しいシーンを作るまでは、と。
それはまるで、
貼り付け終わったエンドロールだった。
私たちが自分の目の前に作り出す現実は、
「目の前にある空間の全てが物質で出来ている」。
それらの物質たちは、
「重力」を使って固めているのかもしれない。
粘土を自分の好きな形に変えるときのように。
自分の思い通りの現実を作る作業は、
重力で作り直すことなのかもしれない。
『物質は重力によって固められる』。
「意識そのもの」である私たちの意図は、
重力によって固められて物質化する。
そして新しい意図によって、
固められた物質の重力を解放する。
そして解放された物質は、
また新しい意図と重力によって固めらる。
私たち人間は、
いつもそうやって、
自分の現実を作り出しているのだろう。
「現実という名の重力」は、
いつも解放と圧縮を繰り返している。
重力は、
「意識を物質化するための方法」
だったのだろうと思う。
なぜならば、
私たちの本来の姿である
「意識そのもの」はあまりに広がり過ぎてる。
私たちの本来の姿は物質ですらないのだ。
だから固めないといけないのだろう。
この物質の世界を「体験するため」に。
だからあの日。
現実の外側から見たとき、
この世界が固くて密度が濃く見えたのだろう。
この現実世界は、
重力によって密度が濃くなっている。
意図 → 重力 → 物質化 →
再意図→解放 → →重力→再物質化。
私たち人間は常に無意識の中で。
この流れを繰り返しているのかもしれない。
重力は広がった意識を、
現実に固定するための「装置」だったのだろう。
つまり私たちは、
『現実という名の密度を重力で練り直している』
そんな気がした。
ねぇ、どう思う?

