半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。
私たちは自分の意識を投影して、
その世界に入り込んで生きている。
「知ってた」。
この感覚は未来の記憶だった。
「未来は予測しかできない」。
たしかに、普通はそうだ。
今の自分からは、
そう捉えることしかできない。
しかし、同時に、
自分の人生の中で、
「知ってる」「知ってた」。
という完了系に近い感情が生まれる時がある。
この出来事が起きることを知っている自分。
この出来事が起きることを知っていた自分。
そんな自分になるときがある。
「未来が未来じゃなくなる瞬間」。
あの独特の感覚のこと。
不思議だ。
なぜなんだろう?
未来は予測じゃない?
未来はもう確定しているのか?
今ここにいる自分は、
その答えを正確に知ることはできない。
構造上、仕方がないのだ。
私たちはこの現実の箱の中にいるのだから。
しかし、「サイン」は受け取ることが出来る。
未来の自分が今の自分に落とした「サイン」。
私たちは、それを拾っていくだけ。
そしてそれを拾い続けて、
拾い続けた先に「種明かし」が待っている。
「そっか、こういうことだったのか…」と。
私たちの人生は「伏線の回収」なんだ。
なぜ拾っているのか分からない。
これが何に繋がっているのか分からない。
分からないことだらけだけれど、
自分を信じてサインを拾い続けた先に、
「こうなりたかった。」
そんな自分になっているのだろう。
今は何も分からなくていい。
今は肩の力を抜いてリラックスする。
それでいい。
「今」の自分はそれしか出来ないのだから。
それが「今の自分」の「正解」なのである。

