半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。
私たちは自分の意識を投影して
その世界に入り込んで生きている。
つまり自分という人間は、
自分が作り出した「設定」の中にいる。
この3次元の物質世界は、
あまりにもリアリティーがある。
自分が作り出した世界だったなんて、
思いもしないほど。
それもそうかもしれない。
ここからの範囲は自分で、
ここからの範囲は他人が作ってます。
というレベルのものではなく、
「全てを作り出したのが自分」だったのだから。
自分が作り出した世界の中に、
自分という存在を作り出して生きていたのだ。
この『二重構造』の複雑な作りのおかげで、
私たちは現実の正体になかなか気付けずにいた。
私たち人間は
世界の中に自分が生まれたと思って生きてきた。
全然違った。全くの逆だった。
全ては自分が作り出していたのだ。
自分が作り出した「設定」は変えられる。
上書き保存の機能を使って変えられるのである。
私たちが見ている世界の全ては
自分の意識が物質化させたもの。
自分自身の身体も意識が作った物質なのだ。
その物質は確定するまでは何者でもない。
それをどう確定するかは自分で決められる。
つまり自分が作り出した「設定」を変え、
いつでも新しい自分になって生きられた。
ということ。
過去は物質化が終了してしまった世界。
自分が過去に意味を持たせなければ、
実は今の自分には何の効力もないものだった。
自分の記憶を手放して、
自分の好きな設定に今なってしまう。
本当はこれだけやれば、
いつだってなりたい自分になれたのだ。
しかし、これを頭では分かっていても、
何かをしたくなるのがエゴなのかもしれない。
自分は何もする必要はないというのは、
エゴにはつらい。
自分は現実に対して働きかけている存在だ。
とエゴは感じたいのだろう。
この現実世界は生きている。
というよりも、
現実世界の映画を観ている。
という感じの方が真実に近いのかもしれない。
自分はただ見ているだけでよかった。
と受け入れてしまうことが、
エゴにとっては怖いのだろう。
「設定を意図する」→「設定完了現実化」
これが瞬時に行われたら、
いよいよ本当にすることがなくなってしまう。
エゴは自我。
自我が消失することがエゴにとっての恐怖。
だから私たちは、
行動に出ようとするのかもしれない。
行動とはエゴの防衛本能なのかもしれない。
行動は夢を叶えるためではなく、
叶えた夢の中を体験するために使う。
そうすれば省エネモードで楽しめる。
人類の進化のポイントは、
実はここなのかもしれないと思った。

