半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。
私たちは自分の意識を投影して、
その世界に入り込んで生きている。
臨死体験したあの日。
実は、私の誕生日の2日前だった。
「現実の外側がどうなっているか?」
その構造を私はずっと知りたかった。
現実の外側の空間はどんな形なのか?
時間はどんな仕組みになっているのか?
自分はこの3次元に生きる存在だから、
現実を外から見る。
なんてことは出来ないのは知ってた。
だけど、ずっと知りたかった。
どうなっているかその正体を知りたかった。
その好奇心は止まらなかった。
自分の意識が現実を作っていることは、
6年前から知っていた。
たまたま読んだ本。
そこにこう書いてあった。
ー思考は現実化するーと。
納得した。
「そうだ!これだったんだ!!」と。
全ての点が繋がって立体になった瞬間だった。
そこから、
自分の意識で自分の現実を作ってきた。
ポジティブなこともそうじゃないことも。
感情が揺れる日もあれば、
達成感を感じる日も過ごしてきた。
そして、
誕生日の2日目前。
わたしは疲れていた。
そしてあの出来事が起きた。
そう、臨死体験。
この現実世界に焦点を合わせていた意識は、
一気に巨大な広がりになり瞳の裏に入った。
広がった意識は、「全て」になっていた。
二元論を超えた大きなものが私にあった。
そこには、言葉はなかった。
誰かが教えてくれたわけではない。
「体感」としてそれらを感じたのだった。
広がった意識の自分は、
集中力を使って焦点を合わせないと、
この現実世界を見ることが出来なかった。
その広がった自分の意識からは、
この現実世界は「映画」に見えた。
「上映し終わった映画」。
「上映し終わったエンドロール」。
現実の全ての景色がすごい密度で固い。
次元の末端がこの現実世界で終点だった。
ずっと現実の外側を知りたいと
真剣にいつもそう思っていたけれど、
正直に言う。
「まさか、こんな構造だったなんて」
と。ショックだった。
外側の世界から戻ってきた私には、
見てきたものを言語化することは出来なかった。
誰に何を言えばいいのかも分からない。
たとえ言ったとしても、
自分自身が相手に
何を伝えたいのかも分からない。
そして、
半年間の空白期間を経て言語化できた。
自分のこの体験が、
結果何になっているのかは分からない。
なぜ今日もこうして書いているのかも。
毎日、毎日。
けれど、これだけは分かった。
未来の自分からの伏線を拾っている。
「書き続けることが私の伏線」なのだと。
「これは、エンドロールの逆再生なのだ」。

