矛盾の中に真理があった。

現実の仕組み

半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。

私たちは自分の意識を投影して、
その世界に入り込んで生きている。

私たちはどのようにして、
「現実のシーン」を書き換えているのか?

それは自分の思考が変わったとき。

つまり新しい概念を自分に採用したとき。
自分が変われば自分の現実が変わるのである。

そして、自分の限界まで行って降伏したとき。

自分のエゴが降伏したとき、
自分の回路が変更される。

限界まで頑張りきってしまった場合、

「自分はもうベストを尽くした。
これ以上は無理だ、あとはもう天に任せる」
と、ついに頑張る事をやめることが出来る。

その在り方の変更の結果として、
自分のプログラムが書き換わるのである。

そして私たちは、
眠りながらも書き換えているのかもしれない。

肉体を脱いで意識だけになった私たちは、
現実を作り出すデータベースに、
「書き換え入力」
をしに行ってるのかもしれない。

松果体あたりにあったような気がしたもの。
「あの場所」かもしれない。

この作業を何と呼んでもいい。

「上書き保存」でもいい。
「アップデート」でもいい。
「書き換え入力」でもいい。

しかし、臨死体験をしたあの日。

「全てである自分」側から現実を見ると、
この現実世界は、
「作り終わった映画が流されているだけ」
のように見えた。

けれど、
現実に存在する「エゴの自分」側からは、
自分自身が変わるたびに、
自分の現実が書き換えらているように感じる。

なぜ、ここが矛盾しているのだろうか?

現実世界にいる「エゴの自分」は、
自分で現実を作り替えている様に感じるのに、

なぜ現実の外側にいる
「全てである自分」から見ると、
人生の映画は完成し終わった様に見えるのか?

こう思った。

私たちは、
「エゴの自分」が書き換わるたびに、

自分の人生の物語を
「始めから終わりまでの1本の映画」を
『一瞬で完成させてしまう』のかもしれない。

現実世界にいる「エゴの自分」が、
思考や在り方を新しく書き換えるたびに、

「その度にエンディングが違う映画が出来る」
のかもしれない。

そして、
どうしても起きた方が良いとする出来事は、

そのどの映画の中にも、
「必ずその同じシーンを挟む」
のかもしれない。

そう。
これが「タイムラインの収束点」なのだろう。

つまりこの現実世界の仕組みは、

【全てが決まっていて、全てが変えられる】。

これが、
この現実世界の仕組みの答え。
なのかもしれない。

相反するものが向かい合ったとき、
それは真実に近づくとき。これだったんだ。

この現実世界の仕組みは、
「矛盾の中にある真理」
が答えだったのだろう。

「二元論を超えたものが真理」だった。
それがこの世界と外側の世界を繋いでいた。

つまり、自分の映画は変えられる。
自分の現実は自分で変えることができる。

そう、「自分の選択」で。

では、自分で何度でも作り変えられるから、
今日も安心してリラックスしていきましょう。