半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。
私たちは自分の意識を投影して、
その世界に入り込んで生きている。
目覚めはゴールではない。
またスタート地点に戻るのである。
目覚めの先にあるもの。
それは「破壊」である。
目覚めはゴールではない。
またスタート地点に戻るのである。
目覚めのあとにやってくるのは、
「破壊欲求」という本能である。
「破壊欲求」が顔を出してくる。
目覚めは、自分が全てになってしまうこと。
目覚めは、自分が全てだと知ってしまうこと。
自分が全てになり、
エゴの消失という絶望を味わったあと、
またこの現実世界を体験する自分に戻るのだ。
この圧倒的なリアリティのおかげで、
目覚めのあとも現実に没入することはできる。
だがしかし、もう前とは違う。
「現実の仕組みの解像度が高い自分」
へと変容してしまう。
だからこそ目覚めのあとは、
この現実世界に足をつけていく必要がある。
広がり深くなっていく自分の意識を
「自分の肉体」という器に、
自分で閉じ込め留めておかなければならない。
そしてそこには、大きな重力が必要になる。
広がってしまう自分の意識を
大きな力で圧縮するための大きな重力である。
目覚めは、決してキレイなものではない。
自分だと思っていた自分は消え、
自分は全てに溶けた背景だと知ることなのだ。
こうしてエゴが破壊されたあと、
また瓦礫の中から立ち上がるのである。
その姿はまるで、戦士。
そして、
この現実世界で広がった自分の意識を、
「壊したい」「壊されたい」
という欲求が自分の底から目を覚ます。
目覚めのあとのこの「破壊欲求」は、
広がってしまった自分の意識を、
この現実世界に留めるための杭なのだ。
つまり私たち人間は、
目覚める前も目覚めた後も、
結局はいつも同じことを繰り返す。
「破壊」→「創造」→「破壊」→「創造」
私たち人間は、
これらを永遠と繰り返す「意識」だったのだ。
これが私たち人間の「本能」だったのである。
すごいよね?
うちらって、ヤバいよね。

