意識が観測している場所。

現実の仕組み

半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。

私たちは自分の意識を投影して
その世界に入り込んで生きている。

臨死体験したあの日。
私は肉体ではなく意識だけになっていた。

私たち人間の本当の正体は、
「広がった意識そのもの」だったのだ。

ではその「意識」は一体どこにいるのか?

まず、
「広がった意識」とはどんなものなのか?

この「広がった意識」を例えるならば、

『手のひらサイズの小さな箱に、
シングルサイズの羽毛布団を
無理矢理詰め込んで蓋を閉める。

そして蓋を開ける。

すると無理矢理詰め込まれた
シングルサイズの羽毛布団が、
ぶわぁぁと一気に広がって出てくる』

簡単に例えるならば、こんな感じである。

広がった意識とは、
無理矢理小さい場所に入っていたものが、
解放された時の状態にとてもよく似ている。

つまり、肉体という狭い場所に
押し込まれた広がった意識が私たち人間である。

そして広がった意識である私たち人間は、
カメラのレンズから覗き込むように、
鋭く焦点を絞り、この現実世界を見ている。

普通に自分を生きていると、
自分が鋭く焦点を絞りきって、
現実を見ているようには感じないだろう。

だがしかし、
私たち人間の正体は、
「広がった意識そのもの」なので、

この物質世界を見るためには、
集中力を使って絞り切って見る必要があるのだ。

例えば、
私たち人間がこの現実世界で
小さな針の穴に糸を通すときに、
ものすごい集中力を使って見る時と同じである。

だから私たちは疲れるのである。
だから疲れて睡眠を取るのである。

絞りすぎた焦点を毎晩リセットして、
本来の意識そのものに戻る時間なのである。

では私たち人間は
どこから現実を見ているのか?

それは「自分の瞳の裏側から」である。

あの日、意識が広がった私は、
自分の瞳の裏のパイプに入り込んだ。

そして、
その瞳の裏からこの現実世界を覗き込んだ。

その瞳の裏から脳の中心に向かって、
パイプが伸びていて私はその中を漂っていた。

そのパイプはどこかに繋がっていた。
松果体辺りの脳の中心だったような気がする。

そしてそこから、
自分が意図した事が、
現実世界で上映されているように感じた。

あの日私がいた場所は、
もうあの場所だけで「完結」していた。

それ以外の場所を全く感じなかったのだ。

つまり、
私たち人間はおそらく、
「どこにも移動していない。」

移動しているように感じるのは、

臨場感のあるこの現実空間の雰囲気と、
自分の肉体の感覚がそう感じさせるのだろう。

だから、
おそらく私たち人間の意識は、
「最初からずっと瞳の裏側にいる」のだと思う。

ねぇ?
どう思う?