価値観も二元論も超えていた人間。

現実の仕組み

半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。

私たちは自分の意識を投影して、
その世界に入り込んで生きている。

臨死体験したあの日。
意識だけになった私は、
二元論を超えた自分になっていた。

あの日、
現実世界に焦点を合わせていた
自分の意識は一気に大きく広がった。

広がっていった意識とともに、
自分の価値観も大きく広がっていた。

価値観という言葉さえも超えていた。

その姿は、
肉体のない「全てである意識」だった。

価値観とは?

それはこの現実世界を体験するための
自分で決めた自分への「設定」である。

自分はこれが好き。
自分はこれが得意。
自分はこれが苦手。
だから自分はこういう人間だ。

という「限定された自己認識」である。

現実の外側にいる本来の私たち、
「全てである意識そのもの」には、

限定されたものは何もない。
なぜならば「全て」だからである。

私たちが生きるこの物質の現実世界は、
その「全てである意識」の中にあるものを
重力を使いその意識を固めて物質化しているのだろう。

意図→圧縮→物質化→再意図→解放→再圧縮
→再物質化→ 再意図→再解放→再圧縮→再物質化。

自分の意識の中にある意図を重力を使って、
圧縮と解放を繰り返し物質を作り出していた。

私たち人間はこの方法を使って、
この現実空間を自分で作り出し、

自分の体の感覚を使って、
いまココでこうして体験しているのである。

つまり。

私たちは人間は、
この現実世界の中に偶然産み落とされた
ちっぽけな存在なんかではなかったのだ。

自分の中にある「全て」の中から
好きなものを選んで重力で物質化して遊ぶ、

二元論や価値観さえも圧倒的に超えていた
「偉大な全てである意識そのもの」だったのだ。  

どう?
すごいよね?
自分のこと好きになってきた?