半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。
私たちは自分の意識を投影して、
その世界に入り込んで生きている。
臨死体験で知ったことがある。
この現実世界は自己責任だった。
自己責任とは、
「自分の人生の全てを自分で責任を取ること」。
この自己責任があるから、
自分の現実を大きく動かすことができるのだ。
なぜならば、
自分の現実を自分の責任で、
「上書き保存し続けられる」からである。
自分の人生を自分でどう決めるか、
自分のどの意図を使って人生を作るか、
このことを自分自身が知っている状態である。
その結果、自分の現実が大きく変わるのである。
これは周りから見たら、
「運がよかった人」
「頭がよかった人」
と安易に捉えられる事が多いが、
そうではない。
自分が作り出す
現実の責任と覚悟を自分自身で負っている。
自己責任のメリットは、
「自分の思い通りの現実を作れる」
自己責任のデメリットは、
「たまに覚悟が重くなったり、
たまに孤独になったりすること」である。
だかしかし、
自分の意図通りの現実を作り出せるのだ。
対して他責とは、
「自分の人生を誰かのせいにすること。」
誰かのせいにするとは、
自分の人生を他人の力に委ねているということ。
これは、他人が変わらない間は、
自分の現実は変わらないという状態にある。
他責のメリットは、
「一時的に自分の気持ちは軽くなる」
他責のデメリットは、
「自分の現実が全く変わらない」である。
しかし、
他責では他人を変えることはできない。
なぜならば、この現実世界は、
自分の意識で作り出しているからである。
自分の意識が変わらなければ、
自分が作り出す現実の中にいる他人は、
決して変わることはできないのである。
臨死体験したあの日。
私が現実の外側から見た
この現実世界の景色はこうだった。
「自分の意図が貼り付け終わったエンドロール」
一度自分の意図が解き放たれたら、
その意図で作り出されたシーンは、
確定して終了していた。
そしてまた、
自分の新たな意図が解き放たれたら、
前の意図で作られた古いシーンは
新たな意図で作られたシーンで上書きしていた。
つまり他責という、
自分の人生を誰かのせいにする行為とは、
自分が貼り付け終わったシーンの前に座り、
「なぜ!どうして変わってくれないんだ!」
「頼むから、変わってくれ!変わってくれ!」
と叫び続けていたことと一緒だったのである。
「変わって欲しい!」という自分の叫びは、
変わって欲しいと思う現実を作り出していたのだ。
思い出してほしい。
私たち人間は、
たまたまこの世界に生まれ落ちた
ちっぽけな存在なんかではなかったのだ。
この現実世界に存在する全ての物質は、
「全てである意識そのもの」の自分が作っていた。
だから私たち人間は、
限定された二元論さえも超えていた、
あまりにも「偉大な存在」だったのである。
人生は色々起きてくる。
誰かのせいにしたくなることは誰にでもある。
けれど、そんなときは、
「自分には現実を作り直せる力がある」
と、もう一度思い出してみて欲しい。
そうすれば、
自分の現実のシーンを新たに
上書き保存することができるのである。
これが「自己責任の美しさ」なのである。
応援してるよ。
絶対、大丈夫!
最高のシーンを作れるよ!
ね?

