二元論を超えていた自分。

現実の仕組み

半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。

私たちは自分の意識を投影して、
その世界に入り込んで生きている。

アッチの世界には、
ジャッジは存在していなかった。

この現実世界は、
「良い」「悪い」
などの二元論が存在している。

他にも、
「右」「左」「上」「下」
「男」「女」などがある。

つまり、対極なもの。である。

しかしあっちの世界では、
「二元論そのものを含んだ」
もっと大きな構造になっていた。

つまり、
「良い」「悪い」という対極ではなく、
「良い」「悪い」がどちらも含まれている。

「右」「左」もどちらも含まれている。
「上」「下」もどちらも含まれている。
「男」「女」もどちらも含まれている。

という感じだったのである。

つまりアッチの世界は、
「全てはひとつという視点」だったのだ。

これには正直驚いた。

なぜならば私たちがいるこの現実世界は、
「二元論で成り立っている世界」だからだ。

そして、
この二元論の正体とは一体なんなのか?

それは私たち人間が、
この現実世界を見るための「装置」みたいなもの。

この「装置」があるから、
私たちは様々なものを認識できるのである。

しかし私たちの本来の姿は、
「意識そのものであり全て」である。

私たち人間は、
この「二元論の装置」を通して、
こうして自分の現実を見ているけれど、

「装置」そのものを生み出しているのは、
現実の外側にある「意識そのものの自分」。

その視点を思い出したとき、
私たちは二元論を捨てる必要もなくなり、

「二元論を含んだままそれを超えている自分」
という姿になっていくのです。

あなたは元々、
二元論を超えた「大きな意識そのもの」。

この現実世界を体験するために、
一時的に「装置」を纏っているだけなのです。

つまり、
あなたは始めから、二元論を超えた
「偉大な存在」だったというわけです。