主人公は、ずっと自分だった。

現実の仕組み

半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。

私たちは自分の意識を投影して、
その世界に入り込んで生きている。

自分で自分をどう思っているか?
その「答え」がこの現実世界だった。

自分で自分をどう思っているのか?

この現実世界は、
それを「そのまま返してくる仕組み」だった。

私が臨死体験で行った場所は、
空の向こうじゃなくて自分の瞳の裏側だった。

私がその場所から見たのは、
「自分の意識が物質化されていた」ことだった。

広がった自分の意識が意図で物質化して、
この現実世界に映画のように流れていた。

「上映し終わったエンドロール」のように。

自分が放った意図に対して、
「善意」や「悪意」といった判断はなく、
ただ淡々と作用しているように感じた。

あの場所は、ただ動いていたように感じた。

だから、
自分は優秀な人間だと思えば、
自分は優秀な人間だと思える現実が現れる。

自分は何をやっても上手くいくと思えば、
何をやっても上手くいく自分の現実が現れる。

簡単すぎた。

あの日見たこの現実の仕組みは、
「装置」のように感じたし、そう見えた。

だから私たちは、
自分のことは自分で決められる。

このリアリティのある映画みたいな世界で、
どんな自分がどんな風に演じるかを決められる。

現実という名の映画の中に、

自分の設定を決めて、
自分の脚本も決めて、

その物語の中を自分の体の感覚で体験する。
それを体験しながら自分の感情を感じていく。

これが私たち人間が、
この現実世界にやって来た理由だったのだろう。  

だから、
この映画の主人公は自分だったのである。

自分のなりたい自分になってみてね。
そのために、ここに来たんだよ、私たちさ。