それでも続く現実世界。

臨死体験

半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。

私たちは自分の意識を投影して、
その世界に入り込んで生きている。

臨死体験したあの日。
私は自分の瞳の裏に入り込んだ。

広がってしまった自分の意識は、
空の向こうに行くんだと思っていた。

けれど、違った。
空じゃなくて自分の瞳の裏だった。

自分の意識が広がってしまった
あの瞬間のことを今でも鮮明に覚えている。

もわもわーっと、
ぼんやり広がり始めた自分の意識が突然、

「わ!ダメだ!これもっと広がるっ!!!」

ドーン!!!!!!

と。

そして… 気づいたら瞳の裏にいた。

あのとき、
怖いという感情はなかった。

どちらかというと降参に近かった。

「無理だ。抗えない…」と。

広がるほうがまるで自然ですよというような。

あの日から私は、
自分の本当の姿は広がった意識なんだと、
そう気付いたまま日々を生きるようになった。

この現実世界に没入することも、
もちろんある。

けれど、前とは違う。

あの日。
あっちの世界から見たこの現実世界は、
「映画のエンドロール」のような景色だった。

もう上映が終わってしまった映画。
固くて重い、末端の物質の世界。

この現実世界を
あの場所から見た感覚がずっとある。

この現実が自分の意識が作った映画だと、
知ってもなお続く、このリアルな体の感覚。

あの日。
私の意識はそこにあったのに、
自分が勝手に動いて自分が勝手に喋っていた。

それなのに、
この現実世界に戻った私は、
自分で動かして自分で喋っている感じがする。

「一体、何が本当で、何が本当ではないのか?」
と、たまに思ってしまう。

この現実を体験しているエゴの自分が
「頼む、消さないでくれ。」
と、そんなふうに弱く小さく叫んでくる。

そういうときは、私は爆音で音楽を聴く。

「ここにいろ」
と、大きな音で自分で自分を繋ぎ止める。

そうすると、
その音が私を現実世界に繋ぎ止めてくれる。

まるで「杭」のように。

これだけは言える。

私たち人間は、
ちっぽけな存在なんかではない。

それだけは絶対に違う。

私たちは、ものすごく偉大な存在なんだよ。