この現実は勝手に流れている。

現実の仕組み

半年前に臨死体験した私。
この世界の仕組みを知った。

私たちは自分の意識を投影して、
その世界に入り込んで生きている。

この現実世界は、
「意図」→「現実」なのか?
「現実」→「意図」なのか?

臨死体験したあの日。

私は勝手に動いて勝手に喋っていた。
気持ち悪かった。

自分の意識はここにあるのに、 
なんで勝手に喋って動いてるんだ?と。

アッチの世界からこの現実を見たとき、
この現実世界は、
「貼り付け終わったエンドロール」だった。

「あ、これ、もう終わってる。
ダメだ変えられなかったんだ!」

そう思った。

だから本当はこの現実世界は、
「現実」→「意図」なのかもしれない。

では、
「この現実の景色」はどこから来ているのか?

今ここにいる自分じゃなかったら、
どこから「この現実の景色」が来るのか?

それは、アッチの世界にいる
「全てである自分」からなのだろう。

私たち人間は今まで、
「自分の意図で現実を動かしている」。

と思って生きて来たけれど、
本当は、違ったのかもしれない。

この現実を体験しているエゴの自分が、

「自分が意図をして現実を作っている」
と、そう捉えていただけなのかもしれない。

「この現実は勝手に流されている」
そう、映画のように。

だから、
「私たちは作り終わった映画を見ていただけ」
なのかもしれない。

だから私はあの日、

「この現実が貼り付け終わったエンドロール」
に見えたのだろう。

実はずっとこれを受け入れたくなかった。
実はあの日から、うっすら気付いていた。

けれどエゴが抵抗する。
「やめておけ、言うんじゃない」
「やめておけ、気付くんじゃないと」

ここを解明しようとすると、
「人間の認識の壁を一気に突破」
しようとしてるからなのか倒れそうになる。

私たちに唯一許された自由意志は
流されているこの映画を観たときの、

「感情」だけなのかもしれない。

私は、
私が現実を動かしていると思いたい。

自分はこの現実に参加している存在だ。
と思いながら生きていきたいと感じている。

あの日、
「自分が自分を動かしている自分」
に戻ったときの安堵感と安心感はすごかった。

「はぁ、よかった。今までの私だ」と。

この答えは急がなくていいと思ってる。

いつの日か、
完全に理解できる日が来るかもしれない。

その時まで、
自分らしく生きていけばいいかと思っている。

では今日もリラックスして行きましょう!
そうすれば、全部、うまくいくから。ね?